はるもとのブログ

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李賢『士奇泥愛』の書き下し文を作ってみた(原文・書き下し文)

まず、ご教授とご指摘をくださった方@plm********に心より感謝の意を致します。自力で頑張ってから皆様のご指摘や大事な添削をいただきました。本当に感謝感激です。

あらすじ

楊士奇は明朝の四代の皇帝に仕えていた名臣であり、封建時代の楷模とも言われている。本文の作者李賢は文を作って楊士奇の晚年にやって最も背徳なこと、つまり息子を溺愛しすぎたことを記載した。息子への溺愛(=泥愛)で、一世の盛誉が汚れ、結局息子も処刑された。

原文

士奇晚年泥愛其子、莫知其悪、最為敗徳事。若藩、臬、郡、邑、或出巡者見其暴横、以実来告、士奇反疑之、必以子書曰、「某人説汝如此、果然、即改之。」子稷得書、反毀其人曰、「某人在此如此行事、男以郷里故、撓其所行、以此誣之。」士奇自後不信言子之悪者。有阿付誉子之善者、即以為実然而喜之。由是子之悪不復聞矣。及被害者連奏其不善之状、朝廷猶不忍加之罪、付其状於士奇。乃曰、「左右之人非良、助之為不善也。」而有奏其人命已数十、悪不可言、朝廷不得已、付之法司。時士奇老病不能起、朝廷尤慰安之、恐致憂。後歲餘、士奇終、始論其子於法、斬之。郷人預為祭文、数其悪流、天下伝誦。

書き下し文

士奇晚年泥愛其子、莫知其悪、最為敗徳事。

士奇晚年に其の子を泥愛し、其の悪を知るし。最も徳を敗る事と為す。

若藩、臬、郡、邑、或出巡者見其暴横、以実来告、

藩、臬、郡、邑の若き、或は出巡する者其の暴横を見て実を以てきたりて告ぐるに、

士奇反疑之、必以子書曰、

士奇反つて之を疑ひ、必ず以て子に書して曰く、

「某人説汝如此、果然、即改之。」

「某人汝を説きて此の如し。果して然らば、即ち之を改めよ」と。

子稷得書、反毀其人曰、

子稷書を得て、反つて其の人をそしりて曰く、

「某人在此如此行事、男以郷里故、撓其所行、以此誣之。」

「某人此に在りては此の如く事を行へり、男郷里を以ての故に、其の行ふ所を撓む、此れを以て之をそしるなり」と。

士奇自後不信言子之悪者。

士奇自後子の悪を言ふ者を信ぜず。

有阿付誉子之善者、即以為実然而喜之。

阿付して子の善を誉むる有らば、即ち以て実に然りと為して之を喜ぶ。

由是子之悪不復聞矣。

是に由りて子の悪復た聞かず。

及被害者連奏其不善之状、朝廷猶不忍加之罪、付其状於士奇。

害を被る者連なりて其の不善の狀を奏するに及ぶも、朝廷猶ほ之に罪を加ふるに忍びず、其の状を士奇に付す。

乃曰、「左右之人非良、助之為不善也。」

乃ち曰く、「左右の人良に非らず、之を助けて不善を為さしむるなり」と。

而有奏其人命已数十、悪不可言、朝廷不得已、付之法司。

而して其の人命を奏するもの已に数十有り。悪は言ふべからず。朝廷已むを得ずして、之を法司に付す。

時士奇老病不能起、朝廷尤慰安之、恐致憂。

時に士奇老病にして起つ能はず。朝廷尤も之を慰安して、憂を致を恐る。

後歲餘、士奇終、始論其子於法、斬之。

後歲餘、士奇終はり、始めて其の子を法に論じて、之を斬る。

郷人預為祭文、数其悪流、天下伝誦。

郷人よろこび祭文を為り、其の悪流を数へ、天下伝誦す。