はるもとのブログ

自分の勉強経験をここに記録してます。

袁枚『祭妹文』の書き下し文を作ってみた(原文・書き下し文)

まず、ご教授とご指摘くださった方々@jdt********、@ohagitodaihuku、@plm********に心より感謝の意を致します。自分は中国語の環境で初めて袁枚の『祭妹文』を勉強したとき、日本語サイトで書き下し文を自分で見つけられなかったため、知恵袋に質問させていただきました。その後、ある方のお言葉で動機が付き、自力で頑張ってから皆様のご指摘や大事な添削をいただきました。本当に感謝感激です。この記事も、『祭妹文』を勉強したい誰かさんのお役に立てたら嬉しいです。

あらすじ

袁枚『祭妹文』は中国古代文学史上において、祭文の中の珍品だと褒め称えられている。本文は、兄妹の親しさから発し、作者の所見や夢に見たことを書き、妹の袁機(=素文)の一生について、生き生きとした文字で描きだした。兄としての悲しさと悔しさを表し、心に沁みるほど妹への思念も有力な文字で紡ぎ出した。本文には、些細なことばかりあるが、「影の如く歷歷たり」のように、読者がそれらの些細なことで、作者の妹への感情が感じられるはず。

原文

乾隆丁亥冬、葬三妹素文於上元之羊山、而奠以文曰、

嗚呼、汝生於浙而葬於斯、離吾鄉七百里矣。當時雖觭夢幻想、寧知此為歸骨所耶。

汝以一念之貞、遇人仳離、致孤危託落。雖命之所存、天實為之、然而累汝至此者、未嘗非予之過也。予幼從先生受經、汝差肩而坐、愛聽古人節義事。一旦長成、遽躬蹈之。嗚呼、使汝不識詩書、或未必艱貞若是。

余捉蟋蟀、汝奮臂出其間。歲寒蟲僵、同臨其穴。今予殮汝葬汝、而當日之情形憬然赴目。予九歲、憩書齋、汝梳雙髻、披單縑來、溫『緇衣』一章。適先生奓戶入、聞兩童子音琅琅然、不覺莞爾、連呼「則則」。此七月望日事也、汝在九原、當分明記之。予弱冠粵行、汝掎裳悲慟。逾三年、予披宮錦還家、汝從東廂扶案出。一家瞠視而笑、不記語從何起、大概說長安登科、函使報信遲早云爾。凡此瑣瑣、雖為陳跡、然我一日未死、則一日不能忘。舊事填膺、思之淒梗、如影歷歷、逼取便逝。悔當時不將嫛婗情狀、羅縷紀存。然而汝已不在人間、則雖年光倒流、兒時可再、而亦無與為證印者矣。

汝之義絕高氏而歸也、堂上阿嬭、仗汝扶持、家中文墨、䀢汝辦治。嘗謂女流中最少明經義、諳雅故者、汝嫂非不婉嫕、而於此微缺然。故自汝歸後、雖為汝悲、實為予喜。予又長汝四歲、或人間長者先亡、可將身後託汝、而不謂汝之先予以去也。

前年予病。汝終宵刺探。減一分則喜、增一分則憂。後雖小差、猶尚殗殜、無所娛遣。汝來床前、為說稗官野史可喜可愕之事、聊資一懽。嗚呼、吾將再病、教從何處呼汝耶。

汝之疾也、予信醫言無害、遠弔揚州。汝又慮戚吾心、阻人走報。及至緜惙已極、阿嬭問「望兄歸否。」強應曰「諾」已。予先一日夢汝來訣、心知不祥、飛舟渡江。果予以未時還家、而汝以辰時氣絕、四支猶溫、一目未瞑、蓋猶忍死待予也。嗚呼痛哉。早知訣汝、則予豈肯遠遊。即遊、亦尚有幾許心中言、要汝知聞、共汝籌畫也。而今已矣。除吾死外、當無見期。吾又不知何日死、可以見汝。而死後之有知無知、與得見不得見、又卒難明也。然則抱此無涯之憾、天乎、人乎、而竟已乎。

汝之詩、吾已付梓。汝之女、吾已代嫁。汝之生平、吾已作傳。惟汝之窀穸、尚未謀耳。先塋在杭、江廣河深、勢難歸葬。故請母命而寧汝於斯、便祭掃也。其旁葬汝女阿印、其下兩冢、一為阿爺侍者朱氏、一為阿兄侍者陶氏。羊山曠渺、南望原隰、西望棲霞、風雨晨昏、羈魂有伴、當不孤寂。所憐者、吾自戊寅年讀汝哭姪詩後、至今無男、兩女牙牙、生汝死後、纔周睟耳。予雖親在、未敢言老。而齒危髮禿、暗裡自知。知在人間、尚復幾日。阿品遠官河南、亦無子女、九族無可繼者。汝死我葬、吾死誰埋、汝倘有靈、可能告我。

嗚呼、身前既不可想、身後又不可知。哭汝既不聞汝言、奠汝又不見汝食。紙灰飛揚、朔風野大、阿兄歸矣、猶屢屢回頭望汝也。嗚呼哀哉。嗚呼哀哉。

書き下し文

乾隆丁亥冬、葬三妹素文於上元之羊山、而奠以文曰、

乾隆丁亥の冬、三妹素文を上元の羊山に葬り、而して奠るに文を以てす。曰く、

嗚呼、汝生於浙而葬於斯。離吾鄉七百里矣。

嗚呼、汝は浙に生まるれども、斯に葬らる。吾が郷を離るること七百里なり。

當時雖觭夢幻想、寧知此為歸骨所耶。

當時觭夢幻想すと雖も、寧んぞ此れ骨を歸する所と為るを知らんや。

汝以一念之貞、遇人仳離、致孤危託落。

汝一念の貞を以て、人に遇ひて仳離し、孤危託落を致す。

雖命之所存、天實為之、然而累汝至此者、未嘗非予之過也。

命の存する所、天實に之を為すと雖も、然り而して汝を累はすこと此に至ることは、未だ嘗て予の過ちにあらずんば非らず。

予幼從先生受經、汝差肩而坐、愛聽古人節義事。

予幼くして先生に從ひて經を受くるに、汝肩をたがへへて坐し、古人の節義の事を聽くことを愛す。

一旦長成、遽躬蹈之。

一旦長成するや、にはかみづから之を蹈む。

嗚呼、使汝不識詩書、或未必艱貞若是。

嗚呼、使し汝をして詩書を識らしめずんば、或は未だ必ずしも艱貞せざること是くの如くにはあらざらん。

余捉蟋蟀、汝奮臂出其間。

余蟋蟀を捉ふるに、汝臂を奮ひて其の間に出だす。

歲寒蟲僵、同臨其穴。

歳寒くして蟲僵れ、同に其の穴に臨む。

今予殮汝葬汝、而當日之情形憬然赴目。

今予汝を殮して汝を葬る。而れども當日の情形は憬然として目に赴く。

予九歲、憩書齋、汝梳雙髻、披單縑來、溫『緇衣』一章。

予九歳にして、書齋に憩ふに、汝雙髻を梳り、單縑を披て來たり、『緇衣』一章を溫ぬ。

適先生奓戶入、聞兩童子音琅琅然、不覺莞爾、連呼「則則」。

たまたま先生戶をけて入り、兩童子の音の琅琅然たるを聞き、覺えざるに莞爾として、「則則」と連呼す。

此七月望日事也。汝在九原、當分明記之。

此れ七月望日の事なり。汝九原に在り、當に之れを分明に覺えたるべし。

予弱冠粵行、汝掎裳悲慟。

予弱冠にして粤に行くに、汝裳をきて悲慟す。

逾三年、予披宮錦還家、汝從東廂扶案出。

三年逾へて、予宮錦を披て家に還へるに、汝東廂より案を扶ちて出づ。

一家瞠視而笑、不記語從何起、大概說長安登科、函使報信遲早。云爾。

一家瞠視して笑ひ、語の何より起こせしかを記へざるも、大概長安の登科、函使の報信の遲早を說きしならん。爾云ふ。

凡此瑣瑣、雖為陳跡、然我一日未死、則一日不能忘。

凡そ此の瑣瑣たることは、陳跡たりと雖も、然れども我一日未だ死せずんば、則ち一日忘る能はず。

舊事填膺、思之淒梗、如影歷歷、逼取便逝。

舊事膺を塡め、之を思へば淒梗、影の如く歷歷たれども、取らんと逼れば便ち逝く。

悔當時不將嫛婗情狀、羅縷紀存。

當時嫛婗の情狀を將て羅縷紀存せざりしことを悔ゆ。

然而汝已不在人間、則雖年光倒流、兒時可再、而亦無與為證印者矣。

然り而して汝已に人間に在らざれば、則ち年光倒に流れ、兒時再びすべきも、而も亦た與に證印と為す者無からん。

汝之義絕高氏而歸也、堂上阿嬭、仗汝扶持、家中文墨、䀢汝辦治。

汝の高氏と義絕して歸へるや、堂上の阿嬭は汝の扶持にたより、家中の文墨は、汝の辦治するをのぞみたり。

嘗謂女流中最少明經義、諳雅故者。汝嫂非不婉嫕。而於此微缺然。

嘗て女流の中、最も少くして經義を明らめ、雅故を諳んずる者と謂ひたり。汝の嫂は婉嫕たらざるに非らず。而れども此れに於いて微かに缺然たり。

故自汝歸後、雖為汝悲、實為予喜。

  1. 故に汝歸へりしより後、汝が為に悲しむと雖も、實に予が為に喜ぶ。
  2. 故に汝歸へりしより後、汝の悲しびと為ると雖ども、實は予の喜びと為れり。

予又長汝四歲、或人間長者先亡、可將身後託汝。

予は又、汝に長ずること四歲、或は人間にては長者は先に亡ずるものなれば、身後を將て汝に託すべかりき。

而不謂汝之先予以去也。

而れども汝の予に先んじて以て去らんとは謂ざりしなり。

前年予病、汝終宵刺探。

前年、予病みしとき、汝は終宵刺探せり。

減一分則喜、增一分則憂。

一分を減ずれば則ち喜び、一分を增せば則ち憂ふ。

後雖小差、猶尚殗殜、無所娛遣。

後に小しく差ゆと雖ども、猶尚殗殜なれば、娛遣する所無し。

汝來床前、為說稗官野史可喜可愕之事、聊資一懽。

汝、牀前に來たりて、為に稗官・野史の喜ぶべく、愕くべきの事を說き、聊か一懽に資す。

嗚呼、吾將再病、教從何處呼汝耶。

嗚呼、今よりして後、吾將に再び病まば、何れの處よりか汝を呼ばしめんや。

汝之疾也、予信醫言無害、遠弔揚州。

汝の疾や、予、醫の「害はるること無からん」と言ふを信じ、遠く揚州を弔す。

汝又慮戚吾心、阻人走報。

汝又吾が心を戚へしむるを慮んばかり、人の走り報ぜんことを阻む。

及至緜惙已極、阿嬭問「望兄歸否」強應曰「諾」已。

綿惙已に極まるに至るに及んで、阿奶問ふ「兄の歸るを望むや否や」と。強ひて應へて曰く「諾」と。

予先一日夢汝來訣、心知不祥、飛舟渡江。

已に予、先に一日、汝の來たりて訣るるを夢み、心に不祥なるを知り、飛舟にて江を渡る。

果予以未時還家、而汝以辰時氣絕、四支猶溫、一目未瞑、蓋猶忍死待予也。

果して予、未の時を以て家に還れども,而も汝は辰の時を以て氣絕し。四支は猶ほ溫かなりき、一目未だ瞑せず、蓋し猶ほ死を忍びて予を待ちしならん。

嗚呼痛哉、早知訣汝、則予豈肯遠遊。

嗚呼痛ましきかな、早に汝に訣れんことを知らば、則ち予豈に肯へて遠く遊ばんや。

即遊、亦尚有幾許心中言、要汝知聞、共汝籌畫也。

即ち遊ぶも、亦た尚ほ幾許の心中の言の、汝に知聞を要め、汝と籌畫せん有り。

而今已矣。除吾死外、當無見期。

而今じこん已んぬるかな。吾が死を除きての外は、當に見る期無かるべし。

吾又不知何日死、可以見汝。

吾、又、何れの日にか死し、以て汝に見るべきかを知らず。

而死後之有知無知、與得見不得見、又卒難明也。

而して死後の有知無知と得見不得見と、又た卒に明らめがたし。

然則抱此無涯之憾、天乎、人乎、而竟已乎。

然れば則ち此の涯無きの憾みを抱くは、天か人か!而して竟に已まんか!

汝之詩、吾已付梓。

汝の詩、吾已に梓に付せり。

汝之女、吾已代嫁。

汝の女、吾已に代に嫁せり。

汝之生平、吾已作傳。

汝の生平、吾已に傳を作れり。

惟汝之窀穸、尚未謀耳。

惟汝の窀穸は尚未だ謀らざる耳。

先塋在杭、江廣河深、勢難歸葬。

先塋は杭に在れども、江廣くして河深ければ、勢歸葬すること難し。

故請母命而寧汝於斯、便祭掃也。

故に母に請ひて、命じて汝を斯に寧んじ、祭掃に便ならしむるなり。

其旁葬汝女阿印。其下兩冢、一為阿爺侍者朱氏。一為阿兄侍者陶氏。

其の旁に汝の女阿印を葬る。其の下に兩冢あり、一は阿爺の侍者の朱氏たり。一は阿兄の侍者の陶氏たり。

羊山曠渺,南望原隰,西望棲霞,風雨晨昏,羈魂有伴,當不孤寂。

羊山曠渺として、南のかた原隰を望み、西のかた棲霞を望み、風雨晨昏、羈魂に伴有れば、當に孤寂ならざるべし。

所憐者、吾自戊寅年讀汝哭姪詩後、至今無男、兩女牙牙、生汝死後、纔周睟耳。

憐れむ所の者は、吾戊寅年汝の『哭姪詩』を讀みしより後、今に至るまで男無く、兩女牙牙として、汝の死後に生まれしは、纔に周晬耳。

予雖親在、未敢言老、而齒危髮禿、暗裡自知。知在人間、尚復幾日。

予親在り未だ敢へて老と言はずと雖も、而も齒危ふく髮禿げたれば、暗裏自ら知る「人間に在ること、尚復た幾日なるを知らんや」と。

阿品遠官河南、亦無子女、九族無可繼者。

阿品は遠く河南に官たれども、亦た子女無く、九族に繼ぐべき者無し。

汝死我葬、吾死誰埋。汝倘有靈、可能告我。

汝死して我葬むれども、吾死すれば誰か埋めん。汝徜し靈有らば、能く我に告ぐべけんや。

嗚呼、身前既不可想、身後又不可知。哭汝既不聞汝言、奠汝又不見汝食。

嗚呼、身前既に想ふべからざりしかども、身後も又た知るべからず。汝を哭すれども汝の言ふを聞かず、汝を奠るも又た汝の食ふを見ず。

紙灰飛揚、朔風野大。阿兄歸矣、猶屢屢回頭望汝也。

紙の灰飛揚して、朔風は野大なり。阿兄歸りたるも、猶ほ屢々頭を回らして汝を望まん。

嗚呼哀哉。嗚呼哀哉。

嗚呼、哀しきかな。嗚呼、哀しきかな。