はるもとのブログ

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胡応麟『方子振学弈』の書き下し文を作ってみた(原文・書き下し文)

まず、@jdt********さんに心より感謝の意を致します。ご指摘ありがとうございました。注意すべきことには、こちらに書かれた原文はカテゴリにある『高中文言百段閱読訓練』から取り出したものなので、他の書籍やサイトに記載されたものに比べて、幾つか異なる箇所があるかもしれません。

あらすじ

本文は明朝の学者胡応麟が書いた小品文です。作者は方子振八歳からえきを学び始めて、ずっと深く探究し続けたことから「此蓋専芸入神」という結論を付けたのです。

原文

人多言、「方子振小時嗜弈、嘗於月下見一老人、謂方曰、『孺子喜弈乎。誠喜、明当俟我唐昌観中。』明日方往、則老人已在。老人怒曰、『曾謂与長者期、而遅遅若此乎。当於詰朝更期於此。』方念之曰、『圯上老人意也。』方明日五鼓而往、観門未啓、斜月猶在。老人俄翩然曳杖而来、曰、『孺子可与言弈矣。』因布局於地、与対四十八変、每変不過十余着耳。由是海内遂無敵手。」

余過清源、因覓方問此。方曰、「此好事者之言也。余年八齢、便喜対弈、時已従塾師受書。」毎於常課必先了竟、且語其師曰、「今皆弟子余力、請以師弈。」塾師初亦懲撻之、後不復能禁、日於書案下置局布算。年至十三、天下遂無敵手。年至十三、天下遂無敵手。

書き下し文

人多言、「方子振小時嗜弈、嘗於月下見一老人、

人多く言ふ、「方子振は小き時弈を嗜む。嘗て月下に於いて一老人に見ゆ。

謂方曰、『孺子喜弈乎。誠喜、明当俟我唐昌観中。』

方に謂ひて曰く、『孺子は弈を喜ぶか。誠に喜ばば、あした当に我を唐昌観の中に俟つべし。』と。

明日方往、則老人已在。

明日方往くに、則ち老人已に在り。

老人怒曰、『曾謂与長者期、而遅遅若此乎。当於詰朝更期於此。』

老人怒りて曰く、『曾て長者と期せんと謂ひて遅遅たること此くのごときか。当にきっちょうに於いてあらためて此にて期すべし。』と。

方念之曰、『圯上老人意也。』

方之を念じて曰く、『上老人の意なり。』と。

方明日五鼓而往、観門未啓、斜月猶在。

方明日五鼓にして往く。観の門未だひらかずして斜月猶ほ在り。

老人俄翩然曳杖而来、曰、『孺子可与言弈矣。』

老人にはかに翩然として杖を曳きて来りて曰く、『孺子与に弈を言ふべし。』と。

因布局於地、与対四十八変、每変不過十余着耳。

因りて局を地に布し、与に対すること四十八変なれども、每変は十余着に過ぎざるのみ。

由是海内遂無敵手。」

是に由りて海内に遂に敵手無し。」と。

余過清源、因覓方問此。

余清源によぎるに、因りて方をもとめて此れを問ふ。

方曰、「此好事者之言也。余年八齢、便喜対弈、時已従塾師受書。」

方曰く、「此れ好事の者の言なり。余とし八齢にして、便ち対弈するを喜ぶ。時に已に塾師に従ひて書を受けたり。」と。

毎於常課必先了竟、且語其師曰、「今皆弟子余力、請以師弈。」

常課ごとに必ず先んじて了竟し、且つ其の師に語りて曰く、「今皆弟子力を余せり、請ふ以て弈を師とせん」と。

塾師初亦懲撻之、後不復能禁、日於書案下置局布算。

塾師初目は亦た之を懲撻すれども、後には復た禁ずる能はず、日に書案の下に於いて局を置きて算をく。

年至十三、天下遂無敵手。

年十三に至りて、天下遂に敵手無し。

此蓋専芸入神、管夷吾所謂鬼神通之、而不必鬼神者也。

此れ蓋し芸を専らにして神に入るものならん。管夷吾の謂ふ所の鬼神は之れに通ず、而れども、必ずしも鬼神の者にあらざるなり。